夏爐(炉)冬扇 かろとうせん
「予が風雅は夏炉冬扇の如し。衆に逆ひて用ふる所なし」松尾芭蕉
芭蕉は自分の芸術、俳諧に対し、
「私の風雅は夏の囲炉裏や冬の団扇のようなものだ。一般の人の(好みや求めに)逆らっていて、誰も必要としない。」
と書いています。
自らの生き様、そして、芸術までも卑下しているように捉えられますが、『笈の小文』を通読すると、どの芸術も全て地下鉱脈のように繋がって皆一緒であり、逆に風雅に生きる決意であることが理解出来ます。
現在では、前者の意味で使われる事が多いですが、実に逆説的で、含蓄あるとても深い言葉です。
松尾芭蕉は漢代の『論衡』からこの言葉をとっています。
当時、一般の人は、「夏炉冬扇」のようなことをやっていては出世はできないと考えていました。しかし、「論衡」の著者は、このような主張をします。
「夏の火鉢は湿気を乾かすし、冬の扇は火をおこす。出世できるかどうかは、結局、主君とウマが合うかどうかだ。」
つまり、いい主君に巡り会えば、「夏炉冬扇」でも役に立つわけです。この逆説をよく分かった上で、芭蕉は使っているのでしょう。
中谷彰宏さんの言葉に、
「ムリが可能性を伸ばす。ムラが刺激を与える。ムダが豊かさを与える。」
とあります。
無理 斑 無駄
ムリとは負荷が能力を上回っている状況
ムダとは逆に負荷が能力を下回っている状況
ムラはムリとムダの両方が混在して時間によって表れる状況
ムリ
挑戦・行動・有難し⇔無難・楽・コンフォートゾーン
ムラ
不均一、氣の抑揚、強弱、ダイバーシティ、
芸術性とは均一、整然、一糸乱れぬとはイコールではない
ムダ
貧しい乏しい・殺気⇔和気・豊かさ
大量生産、大量消費の時代に求められてきたのは、ムリ・ムラ・ムダの徹底排除でした。
しかし、それで人は豊かになれるのでしょうか。
無理、斑、無駄のなかのに、豊かさがあるのです。
それが楽しさになり、心身の健康にまで繋がっていくと今、考えています。
人の行動に無駄なことは一つもないのです。
このような今だからこそ、是非行動に移し挑戦してみてください。
湯を冷まして急須で入れる玉露
そのひととき
風雅です
硯で墨をする
その香り
その刹那に浮び上るものがあります
これらの豊かさに繋がる、ストーリー・物語がいいのです。
ここに、究極の楽しさがあると考えています。
コメント