菟道小学校 創立150周年 記念式典

 

本日は、長男と次男が通っている菟道小学校の創立150周年の記念式典でした。宇治と言えば、10円玉の平等院鳳凰堂、宇治茶、などが有名で、式典での児童の発表も宇治の歴史は特筆すべきことが発表され、天気にも恵まれた、とても良い式典となりました。

私は九州の自然に囲まれ育った田舎者です。書道を志し東京の大学を卒業後、書道の大家である古谷蒼韻先生の指導を賜りたく、単身宇治に越してきました。文化功労者である先生は高い見識のもと、個性を潰さない卓越した指導力で、日本の書壇を導かれました。戦時中の召集を跨ぎ、昭和十九、二十年に菟道小学校にて教鞭をとられおり、よくお話になったのが「菟道小学校は宇治では一番の学校で伝統校です。その後は、中学、高校でも教員生活を送ったが小学校が一番楽しかった。」とおっしゃっていました。この話を幾度となく聞いていた私は、息子が菟道小学校に入学することになり、とても嬉しく思っていました。

入学当初は、私がこの伝統ある菟道小学校の令和3、4年度育友会会長及び、創立150周年記念事業実行委員長の大役を仰せつかるとは思ってもみませんでした。これも古谷蒼韻先生のもとで学んだ者として、宇治の方々に認めて頂いたからという事に他ならないとおもっています。

恩師は平成最後の年に亡くなりましたが、私はその後も書の道を歩み続けており、主に漢字文字を素材として書作品を制作しています。書というものは、伝統と密接に関係しています。「学ぶ」と言う言葉は「真似ぶ」が語源といわれています。書には幾多の先人が認めてきた、古典というものがあります。どの時代においてもこれを真似ぶことが伝統とされ今日まで継承されてきております。古典を真似ぶ事で技術を向上させ、先人の心情をも追体験することにより創作につなげるということが制作における伝統です。

論語に「温故知新」という言葉があります。古い歴史的事実をしっかり修得して新しい時代に対処する、そうすれば新しい事もすべて正しく理解できる、それでこそ人の師となれるという意味です。「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮詰めたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以て新シキヲ知ル」肉をコトコト煮込んでいい味のスープをとろうと思ったら、強火でやることはよくない、学びも同じ事で、にわか勉強で手っ取り早く済ませるのは間違いだということを孔子は意図しており、「尋」ではなく「温」にして「温故知新」としたそうです。

菟道小学校は、昨日の2月10日に創立百五十周年を迎え、本日、滞りなく記念式典を終えることができました。

式典の中で、150年の写真を集めたムービーが流されました。その中の一枚の写真に思いもかけない再会がありました。菟道小学校野球部のユニフォーム姿の少年たちの隣に指導者として写る古谷蒼韻先生のお姿がありました。先生20歳の頃のものだと思います。

2年間の育友会の活動は新しい学びや気づきがありました。その反面、書道に対しては悩み苦しむ日々でした。先生のご尊顔に接し「このまま進みなさい」と背中を推して頂いた気がします。

長い歴史の中の「伝統」という言葉の意味をしっかり捉え、引き継いでいくことが私の役割であると考えております。

 

松丸濤山(智裕)

 

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